ひぐらしのなく頃に レナと黒猫・後編

















ザァァァーーーー









「…………」


 突然の夕立は容赦なく私達の身体を叩く。傘なんてないから身体はずぶ濡れだ。

 だけどそんな事は全く気にならなかった。


 血が、流れている。

 雨は流していく。生きた証を。

 どくどく、どくどく……

 留まる事を知らない。


 何故?

 どうして?


 血は、何から流れるものだっけ?

 そう、生き物から。

 生き物…動物………


 意味が分からない。わからない、ワカラナイ……

 突然振り出したこの夕立も、目の前の「モノ」も。





「嘘、だろ…」

 目の前の現実を容易く受け入れられない。俺も、魅音も、沙都子も梨花ちゃんも……

 雨に身体が濡れている事にも気付けない。それほどの衝撃が俺達を包む。


 子猫が、横たわっている。ダム現場の中で、ぽつんと…

 首の所から血を出し、身動き一つ取らないその姿はどう見ても………


 目の前の事実が、信じられない。




 少し時間は遡る。



「よーし、終わった終わったぁ! さぁ魅音! 今日の部活は何だ!?」

「今日は屋外系で行こうかねぇ。…そこでスポットが当たるのがレナ!」

「えっ?!」

 放課後、いつものような流れで行くと思いきや魅音は何故かレナを指差す。一体?

「レナ、最近とてもご機嫌な様子だけど何かあった訳〜?」

「確かにここの所レナさんは浮かれているというか何というか…」

「何か良い事があったに違いないのです」

「えへへ、内緒だよ、だよ」

 レナがご機嫌の理由。俺には何となく分かっている。少し推理すれば答えはすぐ導き出される。

沙都子だけは分かってないようだが。

「諸君、今日は部活は無し! しかーし、レナの秘密を暴きたくはないかー!?」

「「おーー!!」」

「え、え!? な、何なんだろ、だろ!?」

「それじゃあ諸君、ダム現場へ出発!!」

「えーー!?」



 そして、今に至る。


 何だこれ?

 何なんだよ、これは!?


 誰も、喋らなかった。喋れなかった。

 レナが何か喋るまで、それは許される事ではないと感じたから。


 雨が、止んだ。


「………ほら…今日も、ね? 持ってきたんだよ…猫缶。君の大好きなやつ……」

 レナが鞄から缶詰を取り出す。蓋を開け、子猫の傍に置く。

「どうしたの? 食べないの? いつもはすぐに平らげちゃうのに……」

 レナは話しかける。一人で、勝手に。

「うぅ……梨花…こんなのって…」

「そうね……」

 沙都子が梨花ちゃんの胸の中で泣いた。梨花ちゃんも沙都子の頭を優しく撫でながら一筋の涙を

流す。

「レナ……」

 魅音がレナの肩に手をかける。だがレナは子猫に話しかける。

「もう自分で餌を取れる位に怪我が治ったのかな?」

「レナ」

「ねぇ? 寝ているの? あ、ごめんね? 今日は学校帰りに寄ったから帽子が無いの。すぐ

取ってくるね?」

「レナ!」

「離してッ!!」

 魅音の手を振り解きレナは立ち上がる。未だに俺達には背を向けて顔を見せない。

「…この子とは、やっとお友達になれたんだよ…? 昨日も仲良く過ごした。……だけどこれは

何? 何かの冗談? この子の悪戯? 違う……死んでないよ…まだ生きてる……まだ!!」

「もう止めなよレナ!! もう……」

「いやっ!! 聞きたくない!!」

 魅音は泣きながらレナを抱きしめる。レナは暴れるが魅音はそれでも離さない。

「違う違う違うッ!! まだ間に合う! 間に合うの!! 離して魅ぃちゃん……離して!!

離せ!!」

 レナは必死にもがく。


 もがいて、もがいて……逃げるのか…この現実からも。


 俺だって、レナの気持ちは痛いほど分かる。だけど、だからこそ言わなければならないと思った。

 真実からは目を背けてはいけない。俺は、汚れ役を自ら買って出た。

「レナ」

「っ!」

 レナは耳を塞いだ。俺はレナの目の前まで行く。そこに待つのは悲しみに頬を濡らす顔だった。

それを見て一瞬胸が締め付けられたが、俺は耳を塞ぐレナの腕を取った。レナは頭を横に振るが

俺は構わず言った。



「死んでる」

「――――――――」


 レナは目を見開き、その場で膝をつき……静かに嗚咽する。

 そこで俺は気付いた。

 俺は…泣いていた。



「多分、野犬か何かと喧嘩したんだと思う。それで…」

 魅音が顔を拭って哀しく呟く。まだ子猫だ。自分より大きな動物に襲われたら無理もない。

「…お墓、作らないといけないですわ……ひっく…」

 まだ幼い沙都子にとってはショックな光景だったのだろう。まだ泣いている。いや、みんな

未だに悲しんでいる。俺も、この理不尽な悲劇にやるせない気持ちで一杯だった。

 だが一番悲しんでいるのは当然レナだ。だというのに、レナは泣いていない。まるで何も感じない

人形のように放心している。

「圭ちゃん、これ。捨ててあったやつ」

 魅音が少し朽ちたシャベルを拾ってきた。こんなのでも穴は掘れるな。

 …でも、レナの目の前で子猫を埋めてもいいものか……

「…レナが、やる」

「えっ?」

 魅音の手からレナがシャベルを取った。驚いた…さっきまで身動きひとつ取らなかったのに…

「レナ…無理しなくていいのです。ボク達が―」

「ありがとう梨花ちゃん…。でも、これはレナがやらなきゃ……この子の友達だった、レナが」

 レナ……

 今、レナはどんな気持ちなのだろうか…少なくとも、あんな言葉をかけた俺に考える権利は

ない。シャベルを持ち、レナは少しダム現場から離れた場所へ足を運ぶ。片手には大事に子猫の……を

胸に抱いて。服が血で濡れるのも構わずに。




 シャベルを、土に刺す。

 穴を掘る。

 その、単調な作業が嫌だった。

 一つ掘る度に、この子との思い出が蘇る。


「っ……」

 最初は、酷い位に嫌われていた。その理不尽さに苛立った事もあった。


「うっ……くっ……」

 触れなかったけど、それでも楽しい一時を過ごせてよかった。


「あぁ……うあぁ………」

 怪我をしたこの子を助ける為、手を引っ掻かれ噛まれようとも…頑張った。私の気持ちを

分かってもらえた。

 …嬉しかった。


「あぁぁ……うぅっ……ひっく……」

 仲良くなって、触れ合い、友達となり………これから……




「あぁぁぁあぁあああああ!! うわあああああああああああ………」

 これからだった!! 私達の日々は、これから…

 幸せは無限じゃない、有限…だから私は毎日を後悔しないように生きている。この子と過ごして

いた時も、ずっと。


 ……でも…こんなのってないよ………こんな…こんな………


 涙が止まらない。頭の中はぐちゃぐちゃで……もう…何も考えられない………




「うぅぅ〜〜〜………あああああぁぁあ………」

「………」

 レナは穴を掘る途中から崩れ落ち、泣き叫んだ。何度も何度も地面を叩き、身体を震わせる。

 嗚咽が聞くのも苦しい……みんな、レナの姿を見て泣いた。子猫の死、そしてレナの慟哭……もう

見ていられなかった。


 レナは…頑張った。諦めず、そしてあの子猫と仲良くなれたんだと思う。

 レナは頑張ったんだぜ? その結末がこんな事だなんて……あんまりだ…


 俺達が泣く理由はもう一つあった。それは、今のレナに何もしてやれないという事だった。

 かける言葉が見つからない。どんな言葉もレナにとっては同情にしか聞こえないだろう。

 それが悔しくて……悲しくて……



 沈む俺達の気持ちとは裏腹に、晴れた空は……心を奪われる位、綺麗な夕焼けだった………








「レナ…今日も来なかったね」

「……あぁ」

 あれから2日経った。レナは……学校に来ていない。体調が悪いから欠席…という事になっている。

「………」

 俺達の間で、重い空気が流れる。放課後だが、とてもじゃないが部活という気分にはなれない。

むしろこんな時に部活だと言う奴はレナの仲間でも何でもない。

「…ここまで塞ぎ込むほど、レナにとっては大事な存在だったんだろうね……あの黒猫は…」

「当然ですわ、レナさんはお友達と言ってました。…それが突然……耐えられる訳ありませんわ……」

「沙都子…」

 恐らく、沙都子は兄である悟史の事を考えている。聞いた話では1年前悟史は突然いなくなった

らしい。レナの今の状況と自分を重ねているのかもしれない。悲しい表情がそれを物語っている

ようにも見えた。

「歯痒いぜ……レナにしてやれる事は…ないのかよ……」

「圭ちゃん、これはレナの問題。私達が出て行った所で…」

「じゃあ指くわえて待ってろっていうのか!? レナが苦しんでいるのに!?」

 つい俺は大声で魅音に詰め寄ってしまった。ごめんと謝る魅音を見て俺は自分のガキさを恥じた。

「悪い…魅音だって同じ気持ちだろうに…俺って奴は」

「魅音さんだけじゃありませんわ」

「ボク達も同じ気持ちです」

 そうだ…俺達は仲間だ。仲間が苦しんでいるのに何もしようとしない訳がない。…だけどそれが

逆にレナの心を傷つける事が怖い。そうみんな思っているはずだ。

「…悲しみは時間の問題だ。今すぐ消える訳がない。……でも、俺はやっぱり何もしないのは

間違ってると思う。仲間なら、手を差し伸べてやるべきなんだ」

「………」

 俺はみんなの顔を見る。みんな、俺の意図に気付いたようだ。

「…圭ちゃんにそれを言われるとはね…。リーダーなのに、情けないよ…」

「圭一さんばかりにいい格好させませんわ」

「圭一、レナが今何処にいるか分かりますですか?」

 絶対とは言えないが、レナの気持ちを察すれば自ずと答えは出てくる。

「ダム現場…は、正直近寄るとは思えない。だとすれば、レナがいる場所は……」






 もう、2日も学校に行ってない。私は自分の部屋でずっと蹲っていた。

 お父さんは私を怒りはしなかった。


「気の済むまで泣きなさい」


 そう言って仕事に行った。その言葉にまた泣いた。


 みんな心配してるだろうな……

 だけど学校に、みんなに会うのが怖い。

 みんなが心配するのは私。だけどあの子の事はもう忘れ去られて……それが怖い。みんな、その

程度にしかあの子を見ていない事実が。


ザッ

「!」

 足音が聞こえる。一人じゃない……郵便配達では…ない。なら、誰?

 その足音は私の部屋の近くまで来る。カーテンは閉めてあるので誰なのか判らない。


 ……もしかして……


「レナ!」

「ッ!」

 心臓が跳ね上がった。圭一くんの…声。じゃあ、そこにいるのは……みんな?

「居ても居なくても返事はしなくていい。これから言う事は全部俺達の独り言だ」

「……」

 あはは…酷いな……。それじゃあどんな事言われても止められないよ。

 耳を塞げばいい。でも、しちゃいけない。


 「仲間」が…私に何か言おうとしているのだから。


「レナ…あの時の事はレナにとって深い傷を作ったと思う。私は…レナと同じ痛みを負う事は

できない…。私には少しの間しかあの子猫と触れ合う事が出来なかったから。でも…信じて

もらえないかもしれないけど、レナの気持ちは分かっているつもりだよ。部長として、仲間として…

……親友として」

 魅ぃちゃん……

「レナ。あなたの努力に私は思い知らされた。諦めない心があなたを幸せに導いた。…その幸せは

長くは続かなかっただろうけど、忘れないで。結末はどうあれ、レナがやった事は無駄じゃない。

…だから今回の事は怒りさえ覚えるわ……っ……うぅ…」

 梨花ちゃん…

「私はレナさんの痛み、解りますわ。…私と似ていますもの……。でも、私の方がまだ良かった方

かもしれませんわね。…レナさんは、目の前でですもの…。あの子猫の声と感触…今でも全然

忘れませんでしてよ? ………ひっく……っく……」

 沙都子ちゃん…

「レナ……これは俺が蒔いた種だと思う。俺が100回駄目なら1000回とか妙な事言ったのが

原因なのかなって。…でも、それでレナは仲良くなれたんだよな? 友達になれたんだよな?

…それって凄ぇ事だ、俺だったら投げてた。俺の言葉でレナが幸せを掴み取ったのなら嬉しい。

……今でも、あいつの横たわった姿が忘れられねぇ。思い出すだけで、悔しくって…切なくて…」

 圭一くん……


 みんな、ごめん。みんなの事、悪く思って…

 みんなだって、苦しいんだよね。私だけが悲しんでいる訳じゃないんだよね。


「いっぱい泣きなレナ。いっぱい泣いて、悲しみを流して……。でも、全てを流すんじゃないよ。

大事なものは残しておくんだ」

「それまで私達は待っている。悲しみを乗り越えたら……その時は聞かせて。あなたの大切な

思い出を」

「レナさんならきっと立ち直れますわ。私がそうだったように、レナさんも…」


「っ………うん……うんっ……」

 みんな…みんな……


「安っぽい台詞かもしれない、でも言うぜ? ……あいつは、お前の心の中にいる。お前が

忘れない限り、ずっと! いつまでも!!」

「―――――!!!」


ガラッ!!

 カーテンを開け、戸を開いた。庭にはみんないた。……みんな、泣いていた。私も。

「あはは……みんな、恥ずかしいな……そんなに…泣いちゃ…て………っ…」

「えへへっ…そうかもね…おじさん達、恥ずかしい奴だからさ」

「全くですわ」

「泣き虫5人組なのです☆」

「言っただろ? 俺達が受け止めてやるって…」

「うん……うん………うううぅぅっ………」


 みんなで手を取り合って、泣いた。私の流し切れない涙をみんなが代わって流してくれる。


 悲しみを流す。でも大事なものは残して。


 大切な思い出…いつかみんなに話そう。


 いつかは立ち直る……でも、それは逃避じゃない。



 だって、一緒にいるんだから。

 いつまでも、私の中で、ずっと………









 空が青い。


 完全な日本晴れじゃないけどそれでも透き通った青…いや、水色かな?

 私が今いる場所は粗大ゴミの山がある近くだと言うのに空がこんなにも綺麗なのは不思議だ。

「今日はとんかつ味だよ、だよ? 気に入ってくれるかな?」

「……俺はそんな味の猫缶が売ってある事が不思議でならない。何処で入手してるんだ?」

「秘密☆」

 休みの日、みんなでダム現場に来ていた。その近くに作ったあの子のお墓へお参りに来たのだ。

「………」

 みんな手を合わせ、目を閉じお墓に参る。


 もうここへ来ても平気な位には時間が経った。ここへ来ると思い出が蘇り悲しいけれど、裏を

返せばあの思い出に浸れるから……全然苦しくはなかった。


「でも、時期が来たら化けて出てくるかもねー」

「をーほっほっほ、それはいいですわね」

「沙都子、そう言うならボクの服にしがみ付かないでなのです」

「あっはっは、沙都子の怖がりめ」

「ふふふ…」

 あの子の幽霊なら、大歓迎かも。


 でも、今でも思う時がある。

 あの子猫は別の子猫で、実はまだ生きているのかもしれないと。もしそうだったら私達は本当に

恥ずかしい5人になってしまうのだが。


「みー」

「!」


 だから今聞こえた鳴き声には本当にびっくりした。


 鳴き声の主は本当に見違える位、もしくは本物であるかもしれない………白い子猫だった。


「お、おい、あれって……」

 噂をすれば何とやら、そう思ったのか圭一くんは笑い、魅ぃちゃんは苦笑い。沙都子ちゃんは

開いた口が塞がらなくがたがたと震え、梨花ちゃんはそれを見てくすくすと笑う。


 幸せは無限じゃない。有限だ。

 でも、だからこそ有限の「数」は無限にあるのだと私は思う。


「ほら、おいで」




 手を伸ばした先、そこには何が待っているのだろう?


 幸せ? それとも絶望?


 …どちらも違う。



 あるのは思い出。かけがえのない、思い出。


 だから手を伸ばそう。


 待っているのが私にとって良い事であろうと、悪い事であろうと……


 大事なものは思い出に変わるのだから―――





               END




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