ひぐらしのなく頃に レナと黒猫・中編



「じゃ、じゃあねにゃん。また明日、学校でにゃ、にゃん」

 私は夕焼けに負けない位赤面しているだろう。

 拳を丸め、猫のようにして可愛らしく振舞ってみせた。だけど魅ぃちゃんはちっちっちっと

人差し指を左右に振る。…笑いを堪えながら。

「ぷ……レ、レナ? 駄目だよ恥ずかしがっちゃ。くくくっ…」

「うぅ〜〜〜……にゃ、にゃんにゃん☆」

 駄目、もう駄目! とても耐えられない!!


 今の私、竜宮レナの状況を説明しよう。

 私は結局また子猫に嫌われてしまい手を引っ掻かれてしまった。…まぁ、昨日圭一くんに包帯を

巻いてもらった場所なので傷はつかなかったのだが。

 圭一くんは昨日と同じように子猫にべったりと触れた。よって罰ゲームは私。

 私に下された罰ゲームは……帰りの際、話す時語尾に「にゃん」と付ける事だった。しかも

可愛らしく手を丸めてにゃんにゃん☆ と言うというものだった。

 正直、物凄く恥ずかしかった。だから極力だんまりを決めようと思ったのだけどみんながそれを

許す訳がなかった。口を閉ざすのは無しというルールにされ、今に至る。


 梨花ちゃんと沙都子ちゃんとは別れ、魅ぃちゃんと圭一くんと私だけになった。私はもう

一刻も早くこの場から逃げ去りたい一心でまだ別れる場所とは遠いのに二人から離れようとした。

「はははっ」

 圭一くんも笑っている。もぉ、酷いや。さっきはあんなにもいいこと言ってたくせに。

 …でも、あの言葉が嘘でない事は百も承知だ。

「くっくっく。じゃあねレナ!」

「また明日な!」

「また明日―――にゃん☆」

 もうヤケクソだった。


 そしてやっと解放される。やっぱり部活は恐ろしい。恐ろしいけど、面白い。

 こんな恥ずかしい事をやらされても、今日という日が終わらなければいいのにと思っているのは

みんなも同じ気持ちだろう。

「……はぁ、また触れなかった。はぅ…」

 そして部活の余韻を残しながら考えるのはあの黒猫の事。

 私はどうしてあの子猫に嫌われるのだろうか?

 理由は分からない。圭一くんも、魅ぃちゃんも沙都子ちゃんも梨花ちゃんも……みんな触れた。

 圭一くんが言っていたように、野生の猫だろうに圭一くんだけでなくみんな触れた。そして私は

触れなかった。この差は何だろう?

 ……分からない。こればかりはいくら考えても意味がないのかもしれない。理由なんて別に

ないのかもしれない。今は猫のきまぐれとしか。


『今日が駄目でも明日、明日が駄目でも明後日! 100回駄目なら1000回だ!!』


 圭一くんの言葉が蘇る。圭一くんらしい考えだ。言葉なら簡単だがそれを実行するのは難しい。


 …私は、あの子猫と仲良くなりたい。それが今の私の中を大多数で占める思いだ。

 嫌われてるからといって、何も全てが終わりな訳ではないのだ。

 大げさな言い方だと私とあの子が生きている限り、いくらでも可能性はある。


 …どうして私はここまであの子猫に固執するのだろう?

 別に大層な理由ではない。

 あの子猫が可愛いから、仲良くなりたい。ただそれだけ。

 …私、おかしな事言ってるかな?

 自問自答している内に家が見えてきた。

 今日が駄目でもまた明日。そう、また………明日。



 翌日、部活が終わると私は真っ先にダム現場へ足を運んだ。私が宝探し以外の目的でここへ

来るのは珍しい。あの子猫が現れるのは確率の問題だというのに、いや、確率の問題だからこそ

いつも以上にダム現場へ来る気になったのだろう。

「でも、3日も連続でここへ来るとは思えないし今日は隠れ家で……あっ!」

 隠れ家の車に近寄っていくと、車の屋根に黒い何かが居座っていた。見間違う訳がない。あの

子猫だ。

 こんな粗大ゴミで一杯の場所で足音を消すのは無理だ。私が見つけたのと同時にあの子猫も

私に気付いたようだ。じっとこっちを見ている。警戒している。私が一度近づけばすぐに

逃げると何となく感じた。

 私は何も用意しなかった訳じゃない。もし子猫と会う事が出来た場合に対して備えはしてある。

「猫の缶詰〜!」

 …ちょっぴり自分で言ってて恥ずかしかった。私は鞄の中から用意しておいた猫缶を取り出した。

 食べ物で釣る時点で自力じゃないのが悔しいけれど、まずは出来る事からする。

 蓋を開けて足元に置くと黒い子猫は猫缶の匂いに誘われて車の屋根から降りる。

「みー」

 警戒してない訳ではないが私が傍にいるにも関わらず猫缶に近づき、食べ始めた。

「わー……しっぽが立ってる。ふふ、美味しい?」

 私はしゃがんで子猫が缶詰の中身を食べる姿を見つめる。身体には触れず、見るだけ。触りたい

衝動に駆られるけどここは我慢。

「はぅ…」

 思わず溜め息が漏れてしまう。

 可愛い。かぁいい……お持ち帰りしたくなるほどかぁいい。

 駄目、駄目だよレナ。ここで暴走してしまったら努力が無駄になる。

「みー」

 それはご馳走様と言う意味だったのだろうか? 子猫は舌でぺろりと口の周りを舐め、缶詰が

空になったのを告げる。

 食べ終わっても子猫は私から逃げず、その場に座っている。大きな瞳が私を見つめている。

「〜〜〜」

 だ、駄目。もう駄目。耐えられない。

「お、お、お、お持ち帰りぃ〜〜!!」

「ふにゃっ!!?」

「えっ!?」

 レナパンの要領で飛びついたはずだった。しかし私の手の中に子猫はいなかった。子猫は

私の襲撃を逃れ一目散に逃げていった。

「……嘘…」

 呆然と私はその場で座り込んでしまった。あれをかわされてしまった……いや、私の殺意にも

似た欲望に動物的直感が反応したのだろうか。

 何はともあれ、三度目の正直も失敗に終わってしまった。

「………」

 その時、私の中でふつふつと何かが沸きあがるのを感じた。それが闘志だと分かったのは後に

なっての事だったのだけど。

「よーし……絶対、絶対仲良くなってあげるよ…!!」



 それから、私と黒猫の戦い(?)が始まった。

 子猫は絶妙とも言えるタイミングでいつも私が来る時間にダム現場にいた。私を待っていたとしか

感じられなかった。もしくは、私が餌を持ってくる都合のいい人間としか見てないのかもしれない

のだけれど。

 とりあえず猫缶はいつも持っていく。やはり餌を与えるというのは猫に近づくには有効な手段

らしく、いつもお腹を空かせているのか警戒せずにやってくる。だけどそれでおしまい。触ろうと

しても逃げられてしまう。

 いつもその繰り返しだった。もしかして私、この子猫に使い走りにされている?

 だけど私はめげなかった。圭一くんに言われた言葉と熱意が私を突き動かす。


 そんな日々が過ぎたある日――


「今日こそは触るんだから。ふふふ」

 ダム現場に向かう間、自然と笑みがこぼれる。触れはしないけど、これはこれで十分子猫と

戯れている。それだけは確かだ。良好な関係ではないけど、これはこれでなんか楽しい。

 そしてダム現場へ到着。


 異変に気付いたのはすぐだった。


「みー! みー! みー!」

「!?」

 それが穏やかではない鳴き声なのはすぐに分かった。私は声のする方へ急いで走る。すると…

「っ!」

 子猫が足から血を流して倒れていた。近くには食器棚。どうも遊んでいて割れたガラス戸で

切ってしまったのだろう。って、冷静に推理している場合じゃなくて!

 私は隠れ家から救急箱を持ってきて子猫に近づいた。

「フー!」

「大丈夫だよ、今助けてあげるから…」

 だけど、一瞬猫に触れるのを躊躇った。今までの事を考えれば触れば暴れるに決まっている。

引っ掻かれたり噛まれたりされるかも……

 なにくだらない事を考えてるのレナ! 私は弱気を振り切り、思い切って子猫の足に触れる。

「みゃぁあ!!」

「っ!!」

 予想していたとはいえ、私は激しい抵抗を受けた。思い切り手を引っかかれ、子猫は私から

遠ざかろうとする。だけど怪我をした今じゃ以前のような身のこなしは嘘のようだった。歩く事さえ

ままならない。

「暴れないで! いい子だから、ね?」

「みゃあっ!!」

「いっ!!」

 激しい痛みが手の甲に広がる。私が近づくと子猫はいきなり私の手に噛み付いたのだ。

 痛い、痛い、痛い! 血がどんどん流れていく。

 どうして私をここまで嫌うの? 私はただその怪我を治したいだけなのに!!

 かっとなった私は子猫を叩こうと手を振りかざし―――

「………っ!」



 叩こうとはしなかった。私は手を噛まれたまま、暴れる子猫を優しく抱きしめる。

「みゃあっ! みゃあっ!」

「大丈夫だから。大丈夫……私を、信じて…」

 暴力に訴えてはいけない。それでは余計こじれるだけ。この子が怖がっているのは当然。なら

私が何もしないと心から訴えればいい。言葉は通じなくても、想いは通じるはず……

 私は君の怪我を治したいだけなの。噛みたいのなら好きなだけ噛んで。それで君の気が済むのなら

いくらでも……


「みゃあ! みゃあ………みー」

 それが、想いが通じたのか観念したのかは分からない。だけど子猫は徐々に大人しくなっていき

噛むのを止めてくれた。

「……ごめんね。怖がらせて」

 私はそっと子猫の頭を優しく撫でた。




「よし…これでひとまず大丈夫、かな」

 怪我の応急処置は終わった。傷口を消毒し、包帯を巻く。私に出来るのはここまでだ。後は

監督の診療所に連れていって診てもらおう。監督は獣医じゃないけど私よりかは適切な処置を

してくれるだろう。

「みー……」

 子猫は私に近づくと私の手を舐める。そこは子猫が噛んだ場所。そういえば手当てをして

なかったので血で真っ赤だ。この子を手当てするのに集中していたから気付かなかった。

「ふふ…ざらざらするな」

 お礼のつもりか、謝罪のつもりか。それでも私は嬉しかった。

「みー」

「もう少し我慢してね」

 子猫を持ち上げる。これまでの事が嘘だったのかのように大人しい子猫に私は苦笑するのだった。




「ふふふ…」

「何だよレナ、今日は随分と機嫌がいいな」

 圭一くんに言われるまでもなく今の私は機嫌がいい。機嫌が良すぎて授業があまり頭に

入らない。

「そういえばレナ、ずっと気になってたんだけどその手の包帯どしたの? あ、もしかして…」

 魅ぃちゃんに言われて手に巻かれた包帯を触る。まだ少し痛むけど、これは勲章のようなもの

だからあまり気にならない。

「またあの黒猫にやられたのか? レナの頑張りには感服するぜ」

「そんな所かな、かな」

 二人は顔を見合わせて首を傾げた。



「おーい、黒猫ちゃーん」

 学校が終わればダム現場へ足を運ぶのが私の日課のようなもの。でも今は少し違う。

「みー♪」

 私が呼ぶと何処かから鳴き声がする。すると、とことこと私の足元へ子猫は近寄ってくる。私が

しゃがんで顎をさすると気持ちいい声をあげる。

「みー」

 子猫は私の鞄を触る。どうやら餌を催促しているようだ。

「ふふ、食いしん坊さんなんだから」


 あの怪我の一件から数日、子猫の怪我は順調に回復していった。もう全然歩けるようになり

以前の私を翻弄した動きも取り戻しつつある。

 だが変わったのはそれだけではない。私と子猫の関係である。あの一件以来、私と子猫は友達に

なった。私が触っても暴れたり逃げたりしないし、私がダム現場に来るとすぐべったりしてくる。

 一度、家で飼おうと思ったがそれは止めた。別にお父さんに反対されているとかそういう理由

じゃない。

 私はこの子を付き従わせたいのではない。あくまで友達として付き合いたいのだ。


「みゃ」

「あっ!? だ、駄目だよー」

 子猫が軽い身のこなしで私の身体を上り、私の被っていた帽子を奪う。そしてその上で丸まった。

どうも私の帽子はクッション代わりとして気に入られたようだ。

「もう……ふふふ」



 隠れ家の屋根に上り、私達は寝そべっていた。相変わらず帽子の上で丸まっている子猫は

大きく口を開けて欠伸をする。それが可愛くて私は子猫の頭を撫でる。


 …この子は、親とはぐれてしまった、もしくは見離されてしまったのだろうと私は考えている。

 そうでなければまだ幼さを残す子猫が親から離れる訳がない。そんな事を考えていると私はこの子に

親近感を覚える。…私の場合は複雑だから少し違うかもしれないけど……

 もしかしたら、そういうものを感じ取って私はこの子に惹かれたのだろうか?

 …考えすぎ、か。そんな事を考えても何にもならない。

「みー?」

「ん…くすぐったいよ」

 気付けば子猫が私の顔を舐めていた。もしかしたら私の胸中を察して慰めてくれたのかも

しれない。私はありがとうという意味を込めて身体を撫で、胸に抱き寄せる。

「私は君を友達だと思ってる。…君は、私の事をどう思ってるの?」

「みゃん」

 子猫は私の言葉に応えるように鳴いた。…それが私の望むものなのかは分からなかったけど

きっと……


 ひぐらしが鳴いている。




―つづく―





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