黒の女と夜の月 つごもり


 吾妻が死んだのを見たのが俺に安心を与えたのか…頭がぼやけてくる。

 あぁ、とうとう俺も死ぬのか…当たり前か。腕が落とされてから血を

流し過ぎた。

 元の姿、闇よりも暗いと思わせる黒い艶やかな長髪に戻っていた女が

そんな俺の近くへ歩み寄り、冷徹な顔のまま俺を見下す。

「ごめんなさい。もう少し君を守る事に集中していれば良かった。君が

こうなったのは私の責任」

 しかし、口から飛び出したのは予期せぬ謝罪だった。

「今更……お前、俺を…餌としか見て…なかった…だろう…に……」

 冷徹な顔には僅かか、それとも虚ろな俺の目がおかしくなったか…

哀しみが含まれているようにも見えた。

 だが、こいつとしては内心悔しいだろう。俺みたいなどんな大物ですら

釣れるであろう餌が無くなるんだ。まぁ、その点に関してはざまあみろだ。

「…そうね、その通りよ。その点に関してはあの男にしても、君にしても…

してやったりと言った所かしら」

 ほら見ろ、こんな奴に人間らしい感情なんてある訳がない。だって

こいつは…正真正銘の化け物だから。

「ぐっ…がはっ!! ゴホッ、かはっ…」

 もう限界らしい。まだ血が体に残っているか不思議だが、これでもう

絞り切っただろう……

 するとどういうつもりか女は俺の上半身を起こした。最早死の直前、

体を起こされても苦しくもなんともない。一体何を…

「そういえば、まだ言ってなかったことがあったわ」

「言って…ない……?」

 「そう」と頷く女。冥土の土産だろうと、この女にもたらされるものに

有意義なものなんてないだろう。

「大切な事よ。……よく、聞いてッ!!」



 ―――――――――え?



 もう痛みという痛みは麻痺に変わり、そして今は感じないまでに至る。

 だが、それは更なる痛みによって覚醒した。

 女は右腕で俺を起こした。刀は持っていない。しかし、そうだ、そういえば

左手には…刀が握られていた。そう、何故か…握られていた。

 その刀は今俺の胸に……刀が…刺さってる。

 女が…俺を刺した?

「あ…あがっ……!!」

 何故…何故、何故、何故!?

 瀕死の俺を…楽にする為? いや、違う…違う、違う違う違う!!

 だったら何故…この女はこんなにも笑みを浮かべている!!?

「ルナディクラ…奴等が何処から現れるかはまだ言ってなかったわよね。

勝手に何処ぞから現れてその人間を殺し、擬態してる。…まぁあなたの

予想はこうかしら? ……でも、違うのよね」

「があああああ!!」

 女が刀を捻じり、俺の胸が抉れる。もう痛くもないはずなのに、激痛に

出ない声が出る。

 だが、何故かそれよりも女の言葉の方が俺にとっては気になるものだった。

「今まで奴らを見てきて何かおかしいと思わなかった? 元の人間と

性格やら何やら同じと思わなかった?」


 ―――――それは、確かにそう思っていた。

 

 ルナディクラが擬態しているとはいえ、あまりにも元の人間と同じだった。

ここまでこいつ等は完璧に擬態した人間を真似る事が出来るのかと。

 …だが、振り返ってみれば林田も曽我も吾妻も…植山はどうか知らないが

どう考えても本人そのものだった。素振り、考え方…とてもじゃないが

あれが偽物のやっている事とは思えない。…奴らの擬態が完璧ならこの

考えは何ら意味のないものだが。

 …しかし、この女はそれを肯定している。

 胸騒ぎがした。抉られているというのに、この胸が何やらざわめいて

いる。何か、この女は…いや、絶対によくない事を今から言おうとして――


「それは当然よ。だってルナディクラは擬態しているのではなく

本人・・なのだから」


 ――――――――――――――――

 何を…この女は…言っている?


「擬態なんて嘘。本人自身だから当然本人みたいに見えるのは当たり前

なのよ。簡単な話よね? ハハッ!」

 嘘だ……そんな…だって…それじゃあ……

「まぁ勝手になる訳じゃないけれどね。…手順が必要なのよ、人間の

体がルナディクラのような化け物に変わる為には。と言っても簡単な話

ただ奴らが人間をたった一掻き、少しだけ血を流す程度の傷を負わせる

だけであら不思議。ルナディクラは出来上がる!!」

「あああああああああああああ!!!」

 狂気の笑みを浮かべる女は何度も何度も俺の胸を突き刺す。何度も

何度も何度も!! こんなに、こんなに血が出てるのに!!


 ――――――いや、いやいやいや!? 待て、待て待て待て!!

 今この女はとんでもない事を口走ったぞ!?


「まるでゴキブリみたいな奴ら。簡単に増殖していく。…もっとも

基本ルナディクラは君みたいにエネルギーを持つ者しか狙わないし

力を持たない者はルナディクラにはなれず自滅してしまう。それに

人間がただルナディクラに傷を付けられて終わりっていう事はない」


――人間を一掻きでもすればその人間はルナディクラになる

――力を持たない者はルナディクラになれず自滅してしまう


 …ハハ、何だよそれ。

 もう決定的じゃないか。

 察しの悪い奴でも流石にそこまで言われれば分かるぞ。

 それに、おかしかったんだ。さっきから。

 どうして俺はまだ生きてる? 既に致命傷を負っているというのに。

 どうしてまだこんな風に冷静に物事を考えていられる?


 どうして俺は、いつの間にかあまり痛みを感じなくなって――


「どう、痛い!? どうして今まで死んでなかったか、不思議に

思わなかった? ねぇ!?」

「止めろ…やめっ…俺は…人げ――――――――」

 重傷にしてはやけにはっきりと物を言えると思った矢先に“それ”は

起こった。俺の右腕の切断面が不気味に蠢いているのだ。まるで

そこから何かが生まれ出るかのように――――――

「うわああああああああああああああああああ!!!」

 な、何だこれ…何だよ、何なんだよぉおおおおおおおおおおお!!

「そう、君はルナディクラになりかけているのよ」

「あぐっ!」

 女は容赦なく俺の胸から刀を抜く。俺から噴き出した血は……

月明かりでは確実ではないが…黒がかっているようにも見えた。

「あ、あぁ、あぁぁぁぁ………」

 夢だ。

 そうだ、これは悪い夢だ。

 きっと俺は長い奇妙な夢を見ている途中なんだ。

 そうだ、そうに違いない。あの最初に化け物に追われてこいつに

出会う前…そこからが夢なのだ。

 そしてこれからベッドの上で起き上がるという、物語なら最悪の

オチで、しかしよくある話で―――――――

「そんな訳ないでしょう? これが現実なのよぉ? アハハハッ!!」

 立ち上がった女は月を見上げ、背にして嗤っていた。ケラケラと

嗤うその姿は正しく悪魔。さっきの幻想的な姿の背筋の凍る恐ろしさ

とはかけ離れた醜悪な悪そのものだ。

 そうだ、これこそがこの女の正体なのだ。本性なのだ。

 この悪魔…悪鬼…!!

「この――――――」

「…でも、まだ《人間》ではある」

「――――――ッ!!」

 この女にぴったりの言葉を吐き捨てようとした矢先、突如女の

狂った嗤いは止まり、歪んだ笑みは引き、元の冷徹な表情で俺を

見下ろす。それは今まで狂ったように嗤っていた奴とはまるで

別人と思わせる位の変貌で―――

「…だから、私は君を殺すわ。ルナディクラになってしまえば最後、

人として死ぬ事は出来ない…君も何度も見たでしょう?」

 …見てきた。何度も。

 ルナディクラの最期は必ず同じ。体は溶け、後に残るのは黒い血…

 人間の死に方ではない…死体も残らない。化け物に相応しい――

「人間として死ぬか、それともルナディクラとして死ぬか……

あなたはどちらがお好み?」

 それは全ての感情が削ぎ落ちた無の表情だった。

 未だに右腕の切断面は気味悪く蠢いている。

 …この女は、おかしい。

 だってそうだろう? 俺に死ぬ事しか選ばせないのだ。自分こそ

化け物の中の化け物のはずなのに…!!

「待て…待てよ!! 俺は吾妻のように狂った事なんてするつもりは

ない!! あんな化け物とは違う!! 曽我だって悪い奴なんかじゃ

なかった! それにアンタだって完全体だか何だか知らないけど

ルナディクラなんだろう!?」

 そうだ、何も殺す事ないじゃないか!! 例え体が化け物に

なろうとも人に危害を加えなければいいんだ! 普通に暮らせば――

「…今はね。でも、ルナディクラに傷つけられた者は徐々に

侵食されていく。それは体を人間とは別のものに変えるだけでなく、

当人の意識すら蝕んでいく。…その人間の負の部分…本能に

忠実にさせる作用をもたらすのよ。理性を無くし、欲望に忠実に。

…ケダモノになるのよ、つまりは。それはとてもじゃないけど常人が

抑えつけられるものではないわ。必ず程度は違えどあの女の子や、

外にいた奴、そして今殺した奴…そしてその曽我? って子はどうか

は分からないけどその子も例に漏れずあなたを喰おうとしていた

はずよ。…例外はない。ルナディクラになれば確実に化け物になる」

 それは何て言えばいいのか。勝手にも程がある…と言えばいいのか。

 何をこの女は自分が正しいと言わんばかりにべらべらと……

 例外はない? 曽我も俺を喰おうとしていただ?

 そんな事はあるものか、現に俺は別に人間を喰おうなどと思って

すらいない。俺は抑えつけられている。確かに、確実に!!

「ふざけるな!! 自分こそとんでもない化け物のくせに!!

俺は違う!! 吾妻なんかとは違う!! 俺は…俺だ!!」

「えぇ、そうね。それは間違っていない。別人に変わる訳では

ないのだから。確かにあなたはあなた自身よ。それは認める」

 今、鼻で笑っているように見えたのは気のせいじゃないだろう。

 何を言っているんだこの化け物は、と。気でも狂ったか、と。

 …ふざけるな…お前の方が化け物だ…化け物…!!

「さてと……そろそろいいかしら?」

「あぁ、もういい……テメェとは二度と口も聞きたくない…」

「あら、そう」

 悪魔…この女は悪魔…悪魔だッ!!

「う…ああああああああああああ!!!」

 右腕の切断面が…熱い!! 焼けるように…そして何百匹の虫が

這いずり回っているような感覚が全身に駆け巡る!

「死になさい」

 女が構える。それは幾度もルナディクラを死に追いやってきた

死の宣告。逃れられない死の…

 死ぬ…殺される……!! 悪魔…俺を殺そうとする悪魔!!

 俺は正常だ…俺は人間だ!! 化け物なんかになるものか!!

 そうだ…俺を化け物扱いするこの女こそ本当の化け物!!

 こんな奴は生きていてはいけない!!

 殺す…そうだ、殺すしかない! この女を殺すんだ!! 俺が生き残る

為には……そうダ! イキノコルタメニハ!!

 コロセ…コロセ!!


 オレガイキノコルニハコノオンナヲコロスシカナイッ!!!!


「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

シィイイイイイイイイネエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!」




 ――――俺は、生えてきた化け物の手で女を殴りつけたはずだった。

 だが、どうしてだろう?

 俺は…女の後姿・・・・を見ていた。

 女の前には俺の胴体が立っていた。…首の無い体が。

 おかしいな……どうして俺の体がそこにあるんだ…?

 落ちていく…やけにゆっくり、落ちていくような感覚が……

 不思議な感じだ……時間がゆっくりと進んでいるような……

 頭の中に色んな光景が駆け巡っていく。仲間同士、馬鹿やっていた

時の事、家で孤独に過ごしていた時の事、ルナディクラに初めて出会った

夜の事、林田とセックスしていた時の事……一瞬とも言える時間の中で

俺は今までの人生の全ての事を振り返ったような心地でいた。

 …そして、その温かくも虚しい記憶を破壊する黒よりも深い闇…

 クソ……こいつが…この女のせいで何もかも…そう、何もかもが

滅茶苦茶だ……

 死ね…死んでしまえ……俺のこの呪いでお前に絶対の不幸を…

 死ぬ事よりも辛い不幸をッ!!

 そして女は振り返り、俺の落ちる生首を見てわら―――――――



   


 おい……何だよその顔………何で…そんな…哀し――――――










―おい、学校なんかあったのか? 警察があんなに…まさか殺人事件!?


―そのまさか。ほら、2−Dに仲野って奴いたじゃんか。あの5人組の

グループのさ。そいつが学校の中で死んでたらしいぜ」


―マジかよ。大事件じゃねーか。


―でもでも、それで今日は学校休みになるのよね? ラッキー!


―おいおい…人が死んだってーのに不謹慎な奴。


―まぁまぁ、どうせ俺達には関係のない話だし。


―それもそうか。よっし、じゃあどっか遊びに行こうぜ!!


―賛成ッ!




 ○県×市、□△高等学校で殺人事件が発生。

 被害者は仲野信彦(16)。

 被害者は首を切断され絶命したのが主な死因だと思われる。凶器などは

不明。切断面から大きな刃物か何かで切られた可能性アリ。尚、遺体には

不審な点が一つ、被害者の右腕が不明。周囲一体を捜索するも見つからず。

遺棄の可能性アリ。

 ちなみに被害者の遺体周辺の窓ガラス全てが割れ、廊下は嵐が通ったかの

ような有様。更に廊下には巨大な細い穴があり、専門家によれば巨大な

刃物で切って出来たものらしく、現在も調査は続いている。

 被害者の有人である曽我義男、林田菫、植山隆、吾妻晃の4名が被害者の

死亡した同じ日に失踪しており、家族から捜査願いが出ている。事件との

関係性は高い。今後捜査の方針となる模様。


 事件の不可解さ故に、迷宮入りの可能性アリ――――――





 学校周辺に群がる野次馬達を汚らしいものでも見るかのように

黒いコートを着た漆黒の女―月夜は遠目で見ていた。

「……他人の死は全て対岸の火事…か。近しい者でない限り人は他人が

死んでも特に何も思わない…」

 月夜の言う通り、群がる全ての人垣はそのほとんどが面白半分の

輩ばかりだ。その中で勝手な憶測が飛び交う。

 彼女は常に思う。人間とはなんと愚かで因果な生き物なのだろうかと。

 自分と関係の無い者なら、何が起ころうと娯楽に利用できる。それが

死であろうと、恐怖もあるだろう、自分に降りかかるかもしれないだろう。

…しかし、それでも人間はそれが自分に起きるはずがない…と信じて

いる。…特にこの日本というちっぽけな国に住む平和という名の

堕落に浸かりきってしまった者達は。

 だからこそ恐怖し、面白がる。

 それを月夜は嗤う。しかし、その嗤いは他人だけに向けられたものか…

「…彼、私を怨みに怨んで死んでいったかしら。…そうであれば、それで

いい……いくらでも私に呪詛をかければいい。…死に逝く彼には、私は

悪魔でいい……」

 月夜は昨夜の事を思い出していた。まだあの少年の首を落とした

感触は手に残っている。黒いレザーの手袋に包まれた掌は微かに震えていた。

 同じく震えるもう一つの手で、震えを押し込めるように握り合わせる。

「ハハッ……」

 それを見て月夜は嗤った。何とも馬鹿げた事だと、自分を嘲る。

 ほんの少しの間で、手の震えは嘘みたいに止まった。そして月夜は

他者の悲劇を面白おかしく引っ掻き回す愚者達を見遣り、鼻で笑うと

もうその醜い集団を目にする事はなかった。




 誰一人、この悲劇を知る者はいない。


   


 そして彼女の頬を伝う一筋の雫を見た者も、誰一人――――――

 

 

 

 

《了》

 

 

 

 
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